友はどんなときにも愛するもの…

“友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟(姉妹)は苦しみを分け合うために生まれる…”
– ソロモンの箴言

今日こうして皆に言葉を伝えることができて幸運に思うわ。みんながいつも私の心を、愛をもって迎えてくれると知っているからね。

もしあなたを心配させていたら、許して欲しい。私は今、今後の人生を決定づけるとても重要な時期にいるの。一旦立ち止まるという私の決断に関して、ファミリーのサポートを受けられるのは恵まれていると思うわ。私の視点を新たにし、傷を癒し、自分自身をもっと知って、今後のために真剣に準備をしたいと望んだの。こうして時間を取ることは必要不可欠だったと感じているわ。休みを取って、再び動き出すことが必要だと気付くことに恥なんてないって分かってるから。もしそうしなかったら、私の人生や、私のアートや、皆との関係など色々なことにおいて、次のステップを踏むことができないって分かっていたの。

ここ数年、他のバンドのメンバーが驚異的に進化するのを見て来たわ。自らの決断…自分自身に“なり”、そう“行動”し、それを“事実”とする決断に忠実でいるという継続するプレッシャーにも関わらずに、彼らは成長した。当時の私にとってその決断は、ついて行くのが完全にクレイジーに見えたわ。常にさらけ出されている時、自分をシスターと呼ぶ(もしくはアレックスがOld Noisy Friendで歌っているようにブラザーと呼ぶ)敵の声は自分を落ち込ませるだけで、本当に疲れ果て弱っている時、長い間聞いて来たその大きな叫び声を、静かにすることは難しいの。それらは本当の声を奪い、あなたを完全に引きずり落とすのよ。叫び返せたらどんなに良かったかと思う。けれど、そんなことをする強さも勇気もなかったの。それを認めるのは難しいわ。そして、そうしようと努めるのは更に難しいの。でも私にはそうする必要があるのよ。

Vague Souvenirがきっかけだったわ。それは私が私自身を、本当に見ることへと導いたのよ。このアルバムはとても真実だから、私に否定出来ない光を放ったの…そして今回は、目を閉じて、私の心に何の光もあてられていないかのように生き続けるだけの強さがあるフリをしたくなかった。だからこそ、見ることへの招待を受け入れ、生きることへのリスクを負い、全てを手放したの。全てを失うリスクを負って…でも、私の過去に関わらず、私が通るであろうものに関わらず、そして未来に待ち受けるものへの恐れに関わらず、本当の平和を、本当の愛を、本当の充足感を見つけるためのリスクも負ったの。アレックスがTurn The Dirt Overについてのブログで書いたように、自分自身に“なり”、そう“行動”し、そして“事実”とするリスクを負うことで、私は自由を通して人生を見たいし、経験したいわ。そうすれば、良い人間になるだけでなく、より良いシスターや友人になり、でももっとシンプルに自分自身に“なる”ことを楽しむことが出来る。

“Gravitation des Coeurs”の曲の中で聞くことができるような、自由。それについて、私は瞑想しているの。自分自身になるため。信仰のステップを踏んで、喜びの旅を生きるために。それは、心にフィルターがあったり、全てが煙のスクリーンに囲まれている時には、成し得ないこと。喜びの旅、分かち合われるもの、私たちの旅。

今の私自身と私の理解の全てで、あなたが大好きよ。明日はもっとあなたを大好きになってるって分かってるしね。私たちが大事にする友情によってインスピレーションを受けた、自由への道に参加してくれて、どうもありがとう。今日はもう既に美しいわ。そして明日の約束はもっとワクワクするものよ!

大好きな皆、本当の意味ですぐに話しましょう。そしてあなたのサポートをどうもありがとう。あなたの声はかけがえのないもので、私にとっての宝物よ!!!

ミス・イザベル

コメント (4)

  • fukakey

    |

    読んで私も考える機会を得ました。
    ありがとうミス・イザベル

    人はパーフェクトでなければ満足しないね。
    日本には”終わりよければ全てよし” という古い言葉があるけど、
    解っていながら、いつのまにか、
    リスクを恐れて、結果が出る前に諦めて、結果までたどり着けなくなっているんだ。
    そして不満だらけで他人にやつ当たる。自分を傷つける。
    でも、
    そこに、やつ当たられてくれる友人、慰めてくれる友人がいて、
    気が楽になる音楽があって孤独でない事に気がつくんだ。

    自分がリスクを背負う事は何にでも覚悟が必要ですね。
    敵は自分自身。
    他人に意地悪く傷つけられたと思っても、傷をつけるのは自分自身。
    過去のこだわりに阻まれていないか。許せない事が多すぎないか。凸凹の自分を恥じていないか。
    考え悩む時間を私はかなり費やしてきたなあと思い出します。

    気がつくことができたら、リスクはリスクでなくなり
    先に進めそうな気がします。

    返信

  • Yukiko

    |

    ほんの数年の間、私があなたたちを見て感じてきたことは、自分らしく変化して動いているっていうこと。

    私はどちらかというと、とてもゆっくり歩いているし…正直、怖くて動けなくなる時間の方が、人生の中で多いくらい。
    …でも、私は時々ふと思うの…。だからこそ、逆説的な意味で、私は私以外の動いているものが、どのくらい動いているのかが、はっきり見えるのかもしれないな…って。自らが動いている時に見える景色と、止まっている時に見える景色は、全く違うように感じる。フィルターがあるかないかでもね…。
    でも、そこに存在しているモノたちは、実は、根本は同じモノだったりする。 ただ、見え方が違うのね…。だから、感じ方も違う。
    私は早く動けないけれど、私だから見える形や色、モノがあると思う。
    だから、あなたたちについてもそうなんだと思う。私にしか見えないものがあって、それを少しでも伝えられたらいいな…と思ったの。そして、あなたたちから貰ったものを“私という世界”に溶かして、それが何かのカタチに成長したり、出来上がったりしたら素敵だな…と思う。

    自分が自分らしく在ることは、私にはとても難しいのだけれど…(実際、我ながらびっくりするくらい、こんなに自分が弱いなんて感じてなかったから…)…でも、一歩でも進んだ時には、ほんの少しでも景色は変わるのよね…。
    その一歩先の景色は、とても大切で愛おしいのかもしれない。

    返信

  • Lilsie

    |

    今、お休み中。。。心配かけてゴメンね。。。
    大丈夫だよ。私の心はいつもイサのすぐ側にいるよ。
    だって、イサの事、大好きだもん!^^

    返信

  • Tatsuyoshi Shirai

    |

    私も心にフィルターをして生きてきました、だからとても良く分かります。
    YFEと出会わなければずっと偽りの仮面を被ったままの人生だったでしょう。
    今私の心は自由への道を歩み始めています!
    それは少しずつですが確実です。
    ありがとうYFE!
    ありがとうミス・イザベル!!

    返信

コメントを残す